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Posted by ミリタリーブログ at

2018年11月10日

Operation Libelle

今回はドイツ連邦軍陸上部隊による初の銃撃戦に関する内容です。

諸兄の皆さまは「99年のプリズレンの事件は以前取り上げただろう!!」とお怒りのことでしょうが、
プリズレンの場合は正確に言うと「初めて銃撃戦による殺害が認められた」事件だったんですね。

私も最近まで知りませんでした…… 
(プリズレンの記事はこちら→「血の日曜日」)

史上初、というものは得てして曖昧さを含むものですが、BWファンとしてこの間違いはお恥ずかしい。
ということでリベンジも兼ねて(?)、今回は97年にアルバニアで行われた民間人救出作戦を取り上げます。

作戦名は「Operation Libelle(リベレ)」、Libelleはドイツ語でトンボを意味する語ですね。




さて時代背景であるところの「アルバニア暴動(1997年)」は、簡単に言えばアルバニアの経済破綻を発端とした全国各地の大規模な暴動のこと。
治安が悪化していくと共に内戦状態、無政府化にまで陥り、最終的には国連軍が派遣され治安回復作戦を実行するまでに至りました。


暴動が端を発したのは97年の1月のこと。3月2日には大統領によって非常事態宣言が発令され、遅れて同月11日に外国人の退去命令が下されます。
退去命令と前後して米軍やイタリア軍は空港からの避難作戦を行っており、この時点ではまだアルバニア政府がある程度機能していたようですが、
暴動・鎮圧がさらに激化した3月13日にはもはやドイツ大使館に逃れた数十名の避難民を、チャーター便で脱出させる手段は失われていました。





作戦前夜となる3月13日、この事態を重く見た時の国防大臣フォルカー・リューエがドイツ連邦軍によるドイツ人救出作戦の発動を決定します。
このときアルバニア政府への通達などは行われなかったようです。すでに政府がほとんど機能していなかったということなのかもしれません。

早い段階で海軍のフリゲート艦「ニーダーザクセン(F208)」が作戦のバックアップのためアルバニアのドゥラス(Durrës)港に進入しました。
ドゥラス港はドイツ大使館のある首都ティラナ(Tirana)と目と鼻の先です(といっても交通路で30kmほどの距離)。


さらに作戦当日、3月14日の朝、SFOR任務のためにボスニア・ヘルツェゴビナのライロバッツ(Rajlovac)キャンプに配備されていた6機のCH-53Gが、
クルーおよび装甲擲弾兵部隊・医療部隊の計89名からなるタスクフォースを伴ってクロアチアの最南端の街ドゥブロヴニク(Dubrovnik)へ移動します。

このときドイツ国内では3機のC-160が24名の兵士(6名の衛生兵含む)と共にランツベルク/レッヒ航空基地で待機していました。
ランツベルク/レッヒといえば当時第61空輸航空隊(LTG61)が詰めていた基地ですが、LTG63もこの作戦に参画していたようです。



ざっくり地図(D-Mapsより)

ヘリ部隊は午後にはモンテネグロのポドゴリツァ(Podgorica)に移動。
さらに待機していたC-160がポドゴリツァを目指して離陸。


さて、避難民のピックアップポイントに選ばれたのはティラナ国際空港、ではなくドイツ大使館のあるティラナ中心部に近い「ラプラカ飛行場」。
ほとんど使われなくなっていた飛行場ですが大使館から3kmほどの距離にあり、大通りで結ばれているこちらの方が好都合だったのでしょう。
このとき避難民は主に車両で移動したと思われます。飛行場までの移動の段階からドイツ側の誘導、手引きがあったのではないでしょうか。
(ちなみに大使館からティラナ国際空港までは12kmほどあります)


15時40分、タスクフォースがティラナのラプラカ飛行場に到着しました。
このとき別の避難作業に当たっていた米軍のブラックホークが銃撃され引き返すという事件が起こっていたにもかかわらず、
作戦の指揮を執っていたSFOR指揮官Henning Glawatz大佐(当時)は作戦の続行を決定しています。
(この時点でピックアップポイント周辺はほぼ内戦状態であったことがうかがえます)

着陸したCH-53Gから兵士たちが展開し飛行場の安全を確保、避難民の収容作業を始めたわけですが、兵士による銃撃戦はこの過程で勃発しました。
襲撃者は不明ということになっていますが装甲車を伴っていたということですので、武装した暴徒というより民兵や反乱軍だったのではないかと思います。



G36はまだ配備されていないので連邦兵士の武装はG3です。アーマーはブリストルで、S95(S88?)を併用しています。



MG3も展開。関連写真を見るとPzFst3らしきものも写ってますので対装甲戦闘も想定されていたんでしょうか。



CH-53Gが1機破損のほかアルバニア人避難民1名が負傷という結果に。ただし無事収容を済ませているので追い払うことは出来たのでしょう。
16時9分、ドイツ人21名、日本人13名を含む総勢98名にのぼる民間人の収容に成功します(ソースによって104名とも言われております)。
避難民はポドゴリツァで下され(少なくともドイツ人は)ケルン・ボン空港まで移送されました。



ニュース映像よりライロバッツに帰投したタスクフォース。
ヘリ部隊(mTrspHubschrRgt 25 & HFlgRgt 35)のワッペンが確認できます。


その後の処理によると銃撃戦では総計188発の銃弾を発砲していたとのこと。襲撃者の死亡者、負傷者は不明のままとなっています。


翌月、国連軍による安定化作戦「オペレーション・サンライズ」が展開され、ようやく騒動が終結へ向かうこととなりました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

連邦軍による民間人収容作戦ということで以前取り上げた「オペレーション・ペガサス」との類似点・相違点も興味深いものです。

時間的にも航続距離的にも、また収容人数的にもなるべく(リビアのおように)C-160のような固定翼機を現地に派遣したいところでしょう。
この場合はSFORで派遣されていたヘリ航空隊が利用できたわけですが、そうでなければティラナ国際空港にC-160を強行着陸でしょうか?
あるいはニーダーザクセンから歩兵部隊が上陸し(ティラナとドゥラスは幹線道路で結ばれていますので)陸路を伝って収容していたかもしれません。


ドイツはアルバニアやリビア以外でも在外ドイツ人の避難作戦を行っています(ウクライナ、南スーダンなど)。
これらの場合は武装を伴わない状態での航空機派遣・避難誘導など、ある程度外交的な作戦かと思われます。

計画のみで最終的には実行されなかった作戦もいくつか知られており(イエメン、イラク、ザンビアなど)、
ドイツ政府・ドイツ連邦軍がこうした緊急事態への備えを常に維持しているということがわかります。

94年のルワンダでは政治的懸念からドイツ人救出をベルギー軍に頼らざるを得なかったという背景もありますので、
97年アルバニアのオペレーション・リベレはドイツ連邦軍としても大きな転換点であると捉えることが出来そうです。


法的にはまだ色々問題があるそうですが、民間人避難・救出は軍隊の大事な役割の一つと言えるでしょう。





Tschüs!!
  

Posted by Nekotin at 17:15Comments(0)オペレーション

2015年05月23日

血の日曜日



今回は戦後初のドイツ軍による銃撃戦といわれるあの事件を振り返って見ましょう。

※いきなり訂正で申し訳ないのですが「戦後初のドイツ軍による銃撃戦」はこれ以前にも起こっているので、正確には「銃撃戦による殺害が認められた事件」です。
「Operation Libelle」




この動画、一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか?

ドイツ連邦軍のコソボ派遣部隊が黄色いラダに銃撃を加えている様子なのですが……


銃撃戦が起こったのは1999年6月13日の日曜日、場所は連邦軍が治安維持を担当するプリズレン

………………………………

背景として、KFORが国連安保理に採択されるのが99年6月10日。
この日コソボからユーゴスラビア軍・セルビア治安維持部隊が撤退、コソボ解放軍も武装解除されます。
連邦軍の派遣部隊がコソボに派遣されるのが6月12日なので、現地で任務に就いてから間もなく銃撃事件が起ったわけです。

………………………………


事件当日、アルバニア人の民俗祭が行われているところに、
アルバニア人とNATO軍を良く思わない2人のセルビア人が武器を持ちラダに乗ってやってきたのが事の始まり。
ラダはチェックポイントでの連邦軍兵士の制止を振り切り侵入してきました(酒酔いだったとの話もアリ)。


このとき運転手は手榴弾を、もう一人はカラシニコフを持っていたので、
これはただ事ではないとBWの兵士たちは警告を発しました。

"NATO, stani ili pucam!(止まらねば撃つ)"

(この警告はセルビア語・アルバニア語両方で発されたそうです)



このような警告にも関わらずラダは不審な動きを見せ続けます。
兵士たちが合計220発の銃弾を浴びせようとするまでそう時間はかかりませんでした。



現場で指揮に当たっていたDavid F少尉(当時24歳)が最初に発砲。
続いて少尉の指揮下の6名の兵士があわせて180発の銃弾を撃ち込みました。

このうちほとんどはG36によるものかと思われますが、
動画ですとレオパルト2の砲塔の後ろから拳銃(P8?)を発砲している将兵も見られます。

同時にレオパルト2に搭載されているMG3からは40発が撃ち込まれました(動画でもそれらしき銃声が)。

またこの時カラシニコフの跳弾を受けて兵士1名(Oberfeldwebel)が負傷しています。




結果運転手は即死、もう1人は十数発の弾を受けており搬送先の病院で死亡が確認されました。

この事件は後に「血の日曜日(Bloody Sunday)」事件と呼ばれることとなります。

発砲に関しては連邦軍部隊の正当防衛が認められ、
David F少尉は状況に応じた模範的な行動を取ったとして勲章を授与されています。




………………………………

David F少尉以下6名の兵士は第571山岳猟兵大隊からの派遣だと言われています。

少なくともDavid F少尉は第571山岳猟兵大隊第2中隊第1小隊に属していたようです。


事件の際はブリストルアーマーを着用、武装は当時配備されたばかりのG36。

あまりにも緊急性が高かったためか、拳銃を撃っている隊員はヘルメットを着用していないようです。

………………………………



連邦軍の兵士達はこの後、中東でもっと苛烈な戦闘に巻き込まれてゆくことになるのですが、それはまた次回。


  
タグ :KFOR

Posted by Nekotin at 12:21Comments(0)オペレーション

2015年05月10日

ペガサス作戦


前々回少し話題に出した「ペガサス作戦」について少々。


ペガサス作戦の背景は2011年のリビア内戦、日本でも大きく報道されたたので記憶にある方も多いでしょう。


内戦のきっかけとなった反政府デモが勃発するのが2月15日、
ペガサス作戦はその10日後の25日に始動します。

この作戦は内戦の激化するリビア領内に取り残されたドイツ市民(またヨーロッパ市民)を避難させることが目的です。



2月25日早朝、
FschJgBtl373の12名の空挺隊員とFJBtl252の8名の憲兵がヴンストルフ軍事飛行場に集められました。

(このとき隊員は自分たちが何のために出動するのか知らなかったそうです)


これら20名に加え空軍と海軍から通訳・翻訳の専門家が参加したようです。



まず隊員たちはLTG62(第62輸送飛行隊:ヴンストルフを拠点とする)の2機のトランザールに乗り込み、
経由地のクレタ島ハニア空港まで飛びます。



クレタ島に降り立った憲兵と海軍の言語専門家。

行きか帰りかは分かりませんがハニア空港で装備の着脱を行った様子です。

ハニア空港は軍民共用で後ろに見えるのはギリシャ空軍のF16。



クレタ島において隊員たちは初めて作戦の内容を知らされることになります。
それと同時に本国ゼードルフに駐屯するFschJgBtl313とFschJgBtl373の空挺隊員にも作戦が知らされました。

(というのもこの作戦はまったく極秘で行われたものであり、終了後には国内からかなりの批判があったようです)


さらに地中海にて演習を行っていたドイツ海軍艦艇(ラインラントプファルツ、ブランデンブルク、ベルリン)がシドラ湾で作戦のサポートを命じられます。




いよいよリビアに乗り込む準備が整ったわけですが、
内戦下のリビアにおいてトランザールのような外国軍の軍用機が着陸できる空港などは存在するのでしょうか?





着陸地点として選ばれたのは石油関連企業Wintershalのプライベート空港です。



クレタ島からトランザールと共に飛び立った2機の英軍のハーキュリーズもこのプライベート空港に降り立ちました。

(Google Mapで確認してみたところ滑走路が3000m近くあるようで、これならトランザールもハーキュリーズも余裕で離着陸できます)




トランザールへの収容の様子

着陸後は空挺隊員が滑走路上に展開、安全を確保します(発砲することはありませんでした)。

憲兵は避難民の身元をチェックしトランザールへ収容します。

これら一連の作業はわずか50分で終了し、22名のドイツ国民と132名のヨーロッパ市民がトランザールに収容されたそうです。

(他の民間人はハーキュリーズに収容)





空挺隊員は3Fb上下にDSOアーマー、ベストや各種チェストリグといった構成。

憲兵は5Fb上下にエアクルーアーマー、もしくは憲兵向けIdZアーマー、TTアモベストなどといった装備。

武装は基本的にG36ですが空挺隊員はMG3(3挺)、G3ZF(2挺)も用いました。




好評でしたらBwが行った他の作戦についてもまとめてみたいと思います。


Tschüs!!
  

Posted by Nekotin at 15:39Comments(0)オペレーション