スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2015年05月30日

RC Northと部隊編成

QRF以降の実働部隊について簡単に見てみましょう。

QRFについては少し前につたない記事を書いたところですが、今回もつたないです(すまんこ)


………………


バックグラウンドとしてPRT(地方復興チーム)と連邦軍の主要拠点について触れておきましょう。

・PRT クンドゥズ(KDZ)
 2003年10月にISAFの活動範囲がアフガン全土に広げられると、ドイツは北東部のクンドゥズ州にPRTを設置しました(それ以前はカブール内のみの活動)。
連邦軍がQRFを引き継いだ2008年頃にはSchutzkompanie(3個小隊の120名の降下猟兵を含む200名程度の中隊)を含む600名の人員が運用されており、Schutzkompanie下の小隊はそれぞれQRFのサポート、タロカンキャンプのサポート(後述)、CIMICサポートに充てられました。
QRF後の2012年には約1400名のドイツ人を含む2040名が駐屯することとなります。

クンドゥズの部隊に用いられるシンボル




・PRT ファイザーバード(FEY)
 2005年、PRT KDZに続いて北東部のファザーバード州にもドイツによるPRTが設置されました。2011年頃は300名の連邦軍兵士と80名の民間要員、1個小隊のモンゴル軍で活動していました。

PRT FEYのシンボル




・タロカンキャンプ
 タロカンにはPRTクンドゥズが監修するキャンプ(駐屯地)が存在しPAT(Provincial Advisory Team)が置かれていました。タロカンはクンドゥズとファイザーバードの中間に位置します。




・マザリシャリフ(MeS)のキャンプ・マーマル
 2006年8月、北部のマザリシャリフに大型の飛行場を併せ持つキャンプ・マーマルが開設されました。これは連邦軍の海外派遣に置いては最大の拠点で、(ドイツ以外の十数か国の人員も駐屯しており)ISAFの拠点としても最大クラスでした。




・Operational Mentoring and Liaison-Team (OMLT)
 2006年6月に活動開始したANAのトレーニング、コンサルティングを行う組織です。アフガンの治安部隊がISAFから独立するための自律性と効率性を高めるためのもので163~308名のコンサルタントが第2ANA旅団を担当していました。

OMLTワッペン



………………


QRFについては前回の記事を誤って消してしまったのでこちらで改めて。

・Quick Reaction Force (QRF)
 QRFはRC Nord(北部地域コマンド)に置かれた即応部隊で、パトロールや偵察、コンボイの護衛、暴徒鎮圧などの任務を取り扱っていました。
(BWは2008年7月にノルウェー軍からこの役割を引き継ぎ、2010年10月頃まで活動)
大隊規模の部隊で様々な兵科を混ぜて編成したタスクフォースです。衛生中隊を含めると4個中隊所属しています。
第1中隊:QRFの運営に関わるセクションで輸送・兵站小隊、通信小隊、整備小隊、EOD小隊などがここに含まれています。TACPや120mm迫撃砲小隊などの戦闘支援部隊も属しています。
第2、3中隊:戦闘中隊。メイン戦力がこちら。中隊本部、2個の歩兵小隊、1個装甲小隊で構成されています。歩兵小隊はフクスやディンゴを、装甲小隊はマーダーを扱います。
衛生中隊:中隊本部、3個BAT (Beweglicher Arzttrupp)、6個衛生班で構成されます。実際には第2戦闘中隊用と第3戦闘中隊用に分かれており、各歩兵小隊ないし装甲小隊に1個衛生班が付き添う形になると考えられます。
BATは救急車で出動する医療チームで衛生部隊仕様にカスタムされたフクス (現在ではイーグルⅣも)などを持っています。





続いてQRF後に設置されたAusbildung- und Schutzbataillonについて。

・Ausbildung- und Schutzbataillon (ASBまたはAusbSchtzBtl)
 英語にするとトレーニング&プロテクション大隊でしょうか。実質的なQRFの後継になるかと思われます。というのも2個歩兵中隊(InfanterieKompanie)、本部-供給中隊の他に工兵中隊、偵察中隊、憲兵中隊、衛生中隊を持ちますのでほとんどQRFと編成が変わりません(QRFにプラスアルファの要素が加わった印象)。歩兵中隊はそれぞれ2個歩兵小隊(Infanteriezug)と1個装甲車両小隊(マーダー4両からなる)を持ちますがこの辺りもQRFと同じです。
また第1中隊(本部中隊)にはJFSTが置かれておりクンドゥズに配備されたPzH2000の火力を使用することが出来ます(QRFでの火砲支援は迫撃砲のみでした)。JFSTですので航空戦力との提携も可能です。
ASBはクンドゥズとマザリシャリフの2か所に設置され、それぞれタスクフォース クンドゥズ(TF KDZ)、タスクフォース マザリシャリフ(TF MeS)と呼ばれました。
(2010年8月にQRFが解散した後、8月にKDZ、10月にMeSが設置)
ASBは現地のANA、ANPはもちろん米軍の第10山岳師団と協力することもありました(この辺はまた後ほど)。

TF KDZのワッペン。LehrのLでしょうね。




2011年にASBが解散すると今度はPATFという部隊が組織されました。

・Partnering Advisory Task Force (PATF)
 PATFはASBとOMLTの後継となるようです。PATFは大隊規模であり中隊規模の1個QRU(1個歩兵小隊、2個マーダー小隊)と1個SchutzKp(1個歩兵小隊、1個マーダー小隊)のほか偵察中隊、工兵中隊、兵站中隊を擁していました。
PATF-KDZは2013年10月19日に解散(PRT-KDZ解散と同日)。
PATF-MeSは2014年初頭まで活動が確認されていますが正確なことは調査不足により不明です。

PATFワッペン





PATFと同時期にもう1つ、NRUという組織がRC North下に設置されました。

・Northern Reaction Unit (NRU)
 大隊規模のタスクフォースでMeSに駐屯しており、2個歩兵小隊と1個マーダー小隊から成る歩兵中隊が2個と偵察中隊、工兵中隊を擁していました。RC North下に置かれていたのでPATFと並列の関係となっていました。
アフガン治安維持部隊の支援ほか予備戦力として機能、またIDZ-ESの訓練を受けたGebjgbtl232の将兵、山岳工兵、山岳偵察部隊、PzGrenBtl112から構成。こちらもかつてのQRFをモデルとしたものでよく似ています。
(NRUは2013年7月に発足したようです)

NRU医療部隊のワッペン




PATFとNRUの簡単な編成の様子(2013年頃)





あまり正確でないかもしれませんがざっとこんな感じで。
ワッペンの類は他にもいろいろありますので探してみると面白いです。

TF KDZなんかについてはこのブログでもう少々掘り下げてみたいですね。
  
Posted by Nekotin at 16:24Comments(0)編成とか

2015年05月23日

血の日曜日



今回は戦後初のドイツ軍による銃撃戦といわれるあの事件を振り返って見ましょう。

※いきなり訂正で申し訳ないのですが「戦後初のドイツ軍による銃撃戦」はこれ以前にも起こっているので、正確には「銃撃戦による殺害が認められた事件」です。
「Operation Libelle」




この動画、一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか?

ドイツ連邦軍のコソボ派遣部隊が黄色いラダに銃撃を加えている様子なのですが……


銃撃戦が起こったのは1999年6月13日の日曜日、場所は連邦軍が治安維持を担当するプリズレン

………………………………

背景として、KFORが国連安保理に採択されるのが99年6月10日。
この日コソボからユーゴスラビア軍・セルビア治安維持部隊が撤退、コソボ解放軍も武装解除されます。
連邦軍の派遣部隊がコソボに派遣されるのが6月12日なので、現地で任務に就いてから間もなく銃撃事件が起ったわけです。

………………………………


事件当日、アルバニア人の民俗祭が行われているところに、
アルバニア人とNATO軍を良く思わない2人のセルビア人が武器を持ちラダに乗ってやってきたのが事の始まり。
ラダはチェックポイントでの連邦軍兵士の制止を振り切り侵入してきました(酒酔いだったとの話もアリ)。


このとき運転手は手榴弾を、もう一人はカラシニコフを持っていたので、
これはただ事ではないとBWの兵士たちは警告を発しました。

"NATO, stani ili pucam!(止まらねば撃つ)"

(この警告はセルビア語・アルバニア語両方で発されたそうです)



このような警告にも関わらずラダは不審な動きを見せ続けます。
兵士たちが合計220発の銃弾を浴びせようとするまでそう時間はかかりませんでした。



現場で指揮に当たっていたDavid F少尉(当時24歳)が最初に発砲。
続いて少尉の指揮下の6名の兵士があわせて180発の銃弾を撃ち込みました。

このうちほとんどはG36によるものかと思われますが、
動画ですとレオパルト2の砲塔の後ろから拳銃(P8?)を発砲している将兵も見られます。

同時にレオパルト2に搭載されているMG3からは40発が撃ち込まれました(動画でもそれらしき銃声が)。

またこの時カラシニコフの跳弾を受けて兵士1名(Oberfeldwebel)が負傷しています。




結果運転手は即死、もう1人は十数発の弾を受けており搬送先の病院で死亡が確認されました。

この事件は後に「血の日曜日(Bloody Sunday)」事件と呼ばれることとなります。

発砲に関しては連邦軍部隊の正当防衛が認められ、
David F少尉は状況に応じた模範的な行動を取ったとして勲章を授与されています。




………………………………

David F少尉以下6名の兵士は第571山岳猟兵大隊からの派遣だと言われています。

少なくともDavid F少尉は第571山岳猟兵大隊第2中隊第1小隊に属していたようです。


事件の際はブリストルアーマーを着用、武装は当時配備されたばかりのG36。

あまりにも緊急性が高かったためか、拳銃を撃っている隊員はヘルメットを着用していないようです。

………………………………



連邦軍の兵士達はこの後、中東でもっと苛烈な戦闘に巻き込まれてゆくことになるのですが、それはまた次回。


  
タグ :KFOR

Posted by Nekotin at 12:21Comments(0)オペレーション

2015年05月17日

Fallschirmspezialzug


Fallschirmspezialzug(FschSpezZg)……直訳するとパラシュート特別小隊



のレプリカワッペン。入手してから時間がたってしまったのですがせっかくなのでネタに

(ネタの枯渇を感じる)


この部隊の主な任務は空挺部隊本隊のパラシュート降下のために降下地点を偵察・確保することです。

(英軍空挺のパスファインダーに相当するかと思われます)


その他航空機誘導(FAC)、降下後のパラシュートの回収なども行います。

隊員たちは空挺のエリートでHALO等の自由降下や人員降下のためのタンデムジャンプが可能なほか、
Einzelkämpfer資格やサバイバルスキルを保持しています。




降下猟兵大隊(または降下猟兵連隊)の第1中隊に置かれるほか、KSKにもFschSpezZgが存在し、それぞれの部隊のために働きます。


上の画像は第263降下猟兵大隊のFschSpezZgワッペン。
パラグライダータイプのパラシュートが意匠化されていることに注目。





(第26空挺旅団の連隊化により第26降下猟兵連隊が誕生しましたが、連隊章を見る機会があればこのFschSpezZgのワッペンと見比べてみてください)




パラシュートをカウントするELG(Einsatzleitgruppe、降下地点確保のための分隊)



簡単でありますがこの辺で、


Tschüs!!



  
タグ :空挺

Posted by Nekotin at 13:50Comments(0)編成とか

2015年05月10日

ペガサス作戦


前々回少し話題に出した「ペガサス作戦」について少々。


ペガサス作戦の背景は2011年のリビア内戦、日本でも大きく報道されたたので記憶にある方も多いでしょう。


内戦のきっかけとなった反政府デモが勃発するのが2月15日、
ペガサス作戦はその10日後の25日に始動します。

この作戦は内戦の激化するリビア領内に取り残されたドイツ市民(またヨーロッパ市民)を避難させることが目的です。



2月25日早朝、
FschJgBtl373の12名の空挺隊員とFJBtl252の8名の憲兵がヴンストルフ軍事飛行場に集められました。

(このとき隊員は自分たちが何のために出動するのか知らなかったそうです)


これら20名に加え空軍と海軍から通訳・翻訳の専門家が参加したようです。



まず隊員たちはLTG62(第62輸送飛行隊:ヴンストルフを拠点とする)の2機のトランザールに乗り込み、
経由地のクレタ島ハニア空港まで飛びます。



クレタ島に降り立った憲兵と海軍の言語専門家。

行きか帰りかは分かりませんがハニア空港で装備の着脱を行った様子です。

ハニア空港は軍民共用で後ろに見えるのはギリシャ空軍のF16。



クレタ島において隊員たちは初めて作戦の内容を知らされることになります。
それと同時に本国ゼードルフに駐屯するFschJgBtl313とFschJgBtl373の空挺隊員にも作戦が知らされました。

(というのもこの作戦はまったく極秘で行われたものであり、終了後には国内からかなりの批判があったようです)


さらに地中海にて演習を行っていたドイツ海軍艦艇(ラインラントプファルツ、ブランデンブルク、ベルリン)がシドラ湾で作戦のサポートを命じられます。




いよいよリビアに乗り込む準備が整ったわけですが、
内戦下のリビアにおいてトランザールのような外国軍の軍用機が着陸できる空港などは存在するのでしょうか?





着陸地点として選ばれたのは石油関連企業Wintershalのプライベート空港です。



クレタ島からトランザールと共に飛び立った2機の英軍のハーキュリーズもこのプライベート空港に降り立ちました。

(Google Mapで確認してみたところ滑走路が3000m近くあるようで、これならトランザールもハーキュリーズも余裕で離着陸できます)




トランザールへの収容の様子

着陸後は空挺隊員が滑走路上に展開、安全を確保します(発砲することはありませんでした)。

憲兵は避難民の身元をチェックしトランザールへ収容します。

これら一連の作業はわずか50分で終了し、22名のドイツ国民と132名のヨーロッパ市民がトランザールに収容されたそうです。

(他の民間人はハーキュリーズに収容)





空挺隊員は3Fb上下にDSOアーマー、ベストや各種チェストリグといった構成。

憲兵は5Fb上下にエアクルーアーマー、もしくは憲兵向けIdZアーマー、TTアモベストなどといった装備。

武装は基本的にG36ですが空挺隊員はMG3(3挺)、G3ZF(2挺)も用いました。




好評でしたらBwが行った他の作戦についてもまとめてみたいと思います。


Tschüs!!
  

Posted by Nekotin at 15:39Comments(0)オペレーション

2015年05月05日

ZWISCHEN WELTEN


映画“ZWISCHEN WELTEN”(邦題:クロッシング・ウォー 決断の瞬間)

を観賞しましたので少々感想を



というか装備考察です




作品はご存知、ドイツ連邦軍のアフガン派遣をテーマとしたドイツ映画。


主人公イェスパー(大尉)が武装勢力の脅威にさらされるアフガンの小さな村を防衛するため、
自身にとって2度目の派兵に参加することになります。

そこで現地の民兵と協力するため若いアフガン人通訳“タリク”と行動を共にすることになるのですが、
イェスパーは現地民との文化のギャップや上層部との軋轢に悩まされて……というのが物語のあらすじ




以降はネタバレとなるので注意してください












といっても装備考察ですけどね



物語の舞台はクンドゥズ地域で、イェスパーがクンドゥズ飛行場に降り立つところから話が動き出します。

年代ははっきりしないのですが2012~2013年頃だと思います。
(主人公達が腕に付けているワッペンがPATF Kunduzという組織の物で、これはASBとOMLTの後継組織です)
(このPATF Kunduzの活動時期が2012~2013年なので)




イェスパーは物語では一貫してIdZアーマーとM826ヘルムを着用。

劇中で主にイェスパーと行動を共にする隊員が次の通り

・副官のオリバー(Hauptfeldwebel)
・衛生兵(Stabsgefreiter)
・一人だけM828ヘルムを被ってる金髪兄貴
・SEM70を背負った無線手(Stabsgefreiter)

彼らはコンドルのディフェンダープレートキャリアを着用。

(オリバー以外にもちゃんと名前があるんですが劇中で呼ばれることはほとんどありません)


ディフェンダーの肩パッドにCATを突っ込んでいるのは部隊統制でしょうかね。
それからCATの白いラベルにダクトテープが張られていたんですがアレは一体……。


M828ヘルムの兄貴以外はM826で、無線手を除き全員がBONIE-Mマウントを装着しています。

ホルスターはISAF派遣部隊に支給されるカーキのBHI Serpa Lv3。

Glo-Toobも各々装着しておりこれも目立ちました(なおCR23Aモデル)。



オリバーと衛生兵、M828兄貴はレオケラーのコンシャツ。
オリバーは戦闘での負傷後はスタンダードブルーゼを着用していたように見えますが、
一度本部に戻った際にまた調達したのでしょうか殺害される直前には再度レオコンシャツでした。


(そのほかIdZアーマーにTT Mk2チェストリグ&Crewmanヘルムを被った隊員なんかもチラッと出てきます)




イェスパーは裁判にかけられるシーンで空挺隊員であることが分かるのですが、他のメンバーはどうでしょうね?

一人だけM828ヘルムであったことを除けばイェスパーもM826なんですよね。
ISAF向け装備がどのような形態で供給されてるかは今後の調査課題に……。

アフガン入りはTermezからMeSを経由したと考えられますが、
イェスパーはクンドゥズに降り立つシーンではすでにIdZアーマーを着込んでヘルムも携行してましたね。
この時点では背中にキャメルのホットショットが付いていないのでポーチの類はクンドゥズで取り付けられたと考えられます。
ゆえにIdZアーマーはTermez、MeSのいずれかで受領したんじゃないかと(独本国から着ていくことはないと思います)
アーマーはともかくヘルムは個人が本国から持っていくんでしょうね。

BONIE-Mは現地(クンドゥズ)で配布されたようですけど。




ラストシーンのイェスパーと言えば冒頭シーンとの対比になっていましたよね。
これがどういう意味になっているかはご覧になった方の想像にお任せします(丸投げ)

タリクと踏切のシーンも印象的に使われていましたし、観賞後の考察を掻き立てる作品ですね。

イェスパーの兄(弟?)はアフガンで殉職しているそうですが、それを加味して劇中のイェスパーの心理を読み解くのも面白いかも
(2度目の派遣であることを踏まえて)。




Tschüs!!
  
タグ :映画

Posted by Nekotin at 16:23Comments(0)考察